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「理想」とは、持つべき人生の太陽だ

理想が高すぎるから結婚できない」と言ったりするコレ。

 

これは「理想」ではなくて、

「確実に押さえておきたい合格基準値」という意味に過ぎない。

 

 

本当の「理想」の意味goo国語辞典より引用)

出典:デジタル大辞泉(小学館)

  1.  人が心に描き求め続ける、それ以上望むところのない完全なもの。そうあってほしいと思う最高の状態。「理想を高く掲げる」⇔現実

  1.  理性によって考えうる最も完全な状態。また、実現したいと願う最善の目標あるいは状態。

 

 

例えば、科学なら「鉄腕アトムだ。

手塚治虫の「鉄腕アトム」を作りたい!と思って研究職についた。

という大人は少なくない。

でも、今の現実で、アトム自体は作れない

作れないけれど、「理想」が頭にあるから、

「理想」を夢に描いている大人がいるから、

20年前はまだ考えられなかったロボットが作られているのだ。

 

もしもその大人たちの「理想」が「コタツでみかん食べたい」だったら、

「いかに早く仕事を済ませて家に帰るか」に

その優れた頭を使うに違いない。

 

「⇔現実」とあるように

「現実ではないこと」かつ「現時点で考え得る最高」が「理想」だ。

 

人の「想像」できうることは、今じゃないかもしれないけれど、

「いつか」叶う可能性があるものだ。

一人の人間ではだめかもしれない。

バトンをつなぎながら、いつか、数十年か数百年先に実現するかもしれない

その先にはまた別の「理想」があるだろう。

 

それが「理想」というものだ。

 

   * * *

 

「理想」は「叶わなくていい」ものだ。

 

料理が好きで作る人は、

「あのシェフが作ったようなものをいつか自分も創作してみたいなぁ」

と思っているかもしれない。

 

スポーツを愛好している人は、

「〇〇選手のように自分もプレーしてみたいなぁ」と思っているかもしれない。

 

それは、

「それは”基準”が高すぎて無理だから、そこまで難易度の高いことはできない」

というふうに、「叶わない」から「諦める」ものではないものだ。

 

ちなみに「あの人は素敵だなぁ」はその人物への憧れであり「理想」とは違う。

 

 

自分が到達したいものをイメージし、邁進する。

 

プロを目指してなくたって、近所の草野球だって、

イチロー選手みたいにかっこよくプレーしたい」

とイメージするのは自由なのだ。

 

イチローになりたい」のではなくて、

イチローのように、”自分”を極めたい」という思いが沸きたち、

そういう思いを胸に抱きながら、日々を楽しみ、小さな目標を目指し、

そのうちには、

自分流の高みを具体的にイメージするようになるかもしれないものなのだ。

 

 

「理想」とは、乗り越えたり、到達したりすべきものではないのだ。

 

「より、輝かしい未来を想像する自由さ」であり、

「より、現実の今を明るく照らす、まばゆい太陽のようなもの」なのだ。

 

我々は、神々しい光の下で、

明るく我が人生をいきいきと生きることができるだろう。

 

 

***

 

夢、とは「叶わないけどそうありたい」希望であり、

だから「夢、破れる」という表現もある。

「理想、叶わず」とは言わない。

 

冒頭の「理想高すぎるから結婚できない」という

聞き慣れた文での使い方は間違っている。

 

「理想」は「最高のもの」だから「高すぎる」はない。

条件が高すぎる(厳しすぎる)から結婚できない」が正しい。

 

「理想の人生」を考えると落ち込む人がいる。

それは「別の他人なら持っているが、自分はもっていないなぁ」と思うから。

それは「理想」ではない。「憧れ」に過ぎない。

「憧れてるだけだなぁ」としっかり分けてみれば

「自分はもってない」と落ち込みにくいだろう。

 

「理想」は「完全」なわけだから、

人間が最終的になりたいだろうもので考えてみるといい。

そしたら「石油王」でも「海賊王」でもなく「神様」かもしれないわけだ。

 

もちろん石油王でも海賊王でもいい。

「夢だったのに叶えられない」って泣くものじゃないだろうから。

 

泣いたり落ち込んだりするものだったら「ああ、それは違ってた」

と思えばいい。そして考え直す。

 

 

「理想と現実のギャップ」もよく使う言葉だ。

感情ではなくてもっと理性的に、

「我の最高」を考えるのが「理想」だ。

 

私が「新垣結衣みたいにかわいくなりたいけど、無理だから死にたい」

と言ったら「え?」って思うでしょう。

それは「理想」ではない。

新垣結衣みたいに元気で明るくかわいい感じの人になりたい」

これは「夢」や「希望」「目標」だ。

これをもっと「みたいに」じゃない「(私にとって)最高の高み」へ持って行けば

「理想」になるだろうし、このままでもいいだろう。

いつもニコっとしたかわいい顔が頭上にあれば、

同じ人間にはならずとも、「心の明るい指針」とはなるから。

 

 * * *

 

要するに「今の自分が”より”イキイキできる太陽」を自分でセッティングしておくと、「より」いい今を生きられるだろうね、

ということだ。

 

「正しい理想」があるわけではなくて、

自分がいかに「今を健やかに過ごせるか」に直結するものであって、

阻害するためのものではない、ということだ。

 

 * * *

 

鉄腕アトムを作りたいなぁ」と思ってロボット工学を学んでいる人たちは、

現実を知って諦めただろうか?

そうではない。今の現実では無理だとわかっている。

だから「今を」挑戦している。それが楽しいのだ。生きがいなのだ。

 

「理想」は人に言わなくたっていいし、明確でなくてもいい。

 

 ただ、今、自分がやっている物事について

「理想」を考えること自体だって、

”悪くない趣味”にもなり得る。

 

なぜなら「太陽」だから。

心の窓を開けて、

太陽を感じよう。

 

実は、誰の心にも「太陽」はあるから。