mo-mo-factory

ニュース関連が増えてきました(・_・;)

「独りで老いる怖さ」が私にはわからない

「このまま独りだったらどうしよう!」

と、焦って結婚相手を探す・・・

 

私にはまったくわからない。

 

結婚というのは、

「子育て」を支援するものである。

税が軽くなる制度だ。

 

子供がいなくとも、「婚姻関係」を

法的に結ぶことで、

「新しい家族」として認めましょう、ということ。

 

それはつまり、

「最小の社会」である。

 

人間社会は、

「社会」が「個人」を支えている仕組み

だから、「最小の社会」は、

「個人を支える」一番身近な仕組み。

 

悪く言い換えると、

「日本」~「地域」

では見切れない部分を、

個人to個人で補い合いなさいよ、

ということになる。

 

person to person

P2P(笑)

かつ2Pシステム。

片方が折れたらもう片翼が支える・・・何を支える?

国ではないか…

個人が集まって社会を形成している。

 

それだけ。

しかし2Pで支え合うのには限度がある。

 

どちらかが必ず先に死ぬからだ。

どちらかが必ず後で死ぬからだ。

 

この点で

・「独りで死ぬ」のは嫌だから「結婚」する。

はおかしい。成り立たない。

 

・毎日を独りで過ごしたくないから「結婚」する。

なぜ「将来を考えたら不安」なのかがわからない。


もしも、年をとったときに独りでない保証があれば結婚しようとは思わないのだろうか?いつかくる、「年とったとき」への備えであって、非常用持ち出し袋のように、使わないかもしれなくてもいいのだろうか?むしろ、ずっと出していたら邪魔だから、すぐ出せる場所にしまっておくつもりなのだろうか?


本当は、「今現在不安で寂しいから」

じゃないだろうか?


「将来が不安だ」は詭弁だ。

 

「今、誰かと一緒にいたい」

のではないだろうか?

けれどもそれだと、


今一緒にいたいだけの人と結ばれて、

「やっぱり気が合わない」と、

肝心要な「年取ってからいざという時」に居ないかもしれない、

と不安なのではないだろうか?


その不安を解消するために、

「将来独りじゃいやだ」

という言葉を使っているだけじゃなかろうか。

 

「ずーっと、一緒だよね?」

を保証してもらうために

「結婚」という制度を、言葉を、

利用しているだけではないだろうか?



今いたら、それでいいじゃないか。


いつ、何があって別れるかなどはわからない。

相手が勝手にいやだなぁと思うかもしれない。

それを操作することなどできやしない。

 

「今」「他人」

この両方を認めたくない人が

「将来独りだと不安だ」と言うんじゃないだろうか?


と、私は思う。

 

 

「結婚を考える」というのも、

つまり

「今」「他人」の両方を認めない人が、

「不安」だから、

「契約したい」だけだと思う。

 

「結婚」という契約には

「離婚」という権利もある。

 

 

しかし「付き合う」よりかは

「効果的」な気がするわけだ。

 

だからその自分にとっての「メリット」だけ見たい人は

「離婚という権利」という自分にとっての「デメリット」

を見ないことにしている。

 

でも、あくまで「気がする」だけだから、

いざ「結婚」したらしたで

 

「この人はいつ、裏切るんだろうか?」

ということばかり気にして生きていくことになる。

 

「離婚」は権利だ。

「結婚」が契約である限り、

「離婚」は「裏切り」ではない。

 

 

「老いていく」過程の怖さ

「独り」の寂しさ

 

という自分の問題を、

他者との「結婚」で解消しよう、

というのは別の話だ。


これらをないまぜにしたところで

「心の問題」は解決できない。

 

 

年を取っていくと、

思いもよらぬ病気にかかったり、

身近な者が死んでいったりして、

「病気」や「死」が

より身近なものとなっていくことを、

否応なく実感させられていくものだ。

 

だからといって、

「結婚」はこの事実を遠ざけてくれるものでもない。

 

「結婚しさえすれば、

病気になったら支えてくれるかもしれない」

 

「結婚しさえすれば、

倒れた時に気が付いてもらえるかもしれない」

 

そんな自己都合だけのために

「老後のために独りはいやだから結婚したい」

というのは、嘆かわしくはないだろうか。


自分をおとしめていないだろうか。

 



お金がないから?

 

ではお金があれば、

セコム入れて、見守り機能も今はあるからそういうのをおうちに入れて、

家事などはダスキンとかにやってもらえばいいよね。

 

あるいは病院と連携した老人ホーム(今は多彩にある)

に入居すれば安心だよね。

友達だってきっとたくさんできるしね。

 

 

…そういうふうにできたなら、

 

《「たったひとりの配偶者」なら自分のどんな嫌な部分もひっくるめてまるごと受け入れてくれるはずだ》

 

という「相手ありき」の「可能性」

にすがらなくてもいいよね。


でもそれはゼロではないだろう。

ただそれだけになったら、相手の存在とはなんなのだろうか?


自分にとって、「お金の代わり」にすぎない。

お金で代替可能な安心感。



お金より簡単に楽に手に入る物として、他人を見ていないだろうか。


それは、他人の尊厳もおとしめている行為だ。



将来のためと言って、自己欺瞞に陥ってないか、自分自身の心に問うてみて欲しい。


どうして配偶者が欲しいのか。

何かをして欲しい、させたいのか。

自分は相手にとってどうありたいのか。

何を共有したいのか。

自分も相手も尊重しているか。


自分の頭で考えて、

より良い自分の生き方を手に入れて欲しいと思う。