mo-mo-factory

ニュース関連が増えてきました(・_・;)

「成長していく」という言葉に思うこと

 

noteの方に、「セルフネグレクト」で思うことを書いていますが…

 

自らの肉体を、朽ちるに任す行為は、

かくも悲しき行為です。

 

いったん、その、負のスパイラルに陥れば、

抜け出すのは厳しくなる。

心が落ちてゆく。

肉体もすさんでゆく。

絡み合い、双方の重さで引きずりあうように

淀んだ底へと沈みゆく。

 

我々の肉体は、ただの魂の小舟です。

 

そのままにしていては、浮き続けることも叶いません。

 

自分が、浮いているのか沈んでいるのか、

天と地さえ不明確になってしまう。

 

学校には来ている、

とかいうレベルでなく、

「なぜ、身だしなみを整えないのか」

「なぜ、清潔にしないのか」

 

さあ、やろう、やってあげよう、

などいくら言っても聞きません。

 

「辛すぎて動けない」

「なんとなくめんどくさい」

 

セルフネグレクトは必ずしも

鬱などになったからやるわけではなく、

面倒くさいなぁとほかのことをやる方がよくていつのまにか負のスパイラルにはまり、

竿をもたずに流されていく状態の全てなのではないでしょうか。

 

面倒だ…は、本人が精神的負担が大きくてやる気をなくしている、本筋から逃げている、そういう様々なことがあります。

だから、一様な“助け方”が存在するわけではないでしょう。

 

流れに身を任せないで、

竿を持って沈まぬように流れにのっていく。

それは、自意識、自己制御。

 

この小舟は、いつか朽ちてしまうまでは

降りることはできません。

 

だから、、制御していくための竿がいるのです。なくても流されてはいきますが。

 

これはかなり、労力が要るんです。

しっかりもって、ずっと見張って漕いでいくわけなのだから。

 

何かすごいことをしなくても、

毎日、顔を洗って化粧をしたり、

服を選んで買ってきたものを、

またどう組み合わせてきようかと考えたり、

していますよね。

栄養のある食事をしよう、

洗濯する、とかもね。

 

それは、他者に対する見栄えを頑張る、

ということの前に、

自分の中でやってることですね。

(人にあうからきれいに身支度を整える、

という時にプラスされる見栄えの面はあるけど、それは置いといて。)

 

単純作業であたりまえだと思ってやっています。

 

 

けれども、こうしたことというのは、

 

時間の流れのままにすれば、

あっというまに朽ちることなんです。

 

やってみたことがありますか?

テレビの、映像でしかみたことがなかったら

一週間くらいやってみてください。

 

何もせずに時の流れに流されるということを。

 

なにもしない楽さ、

というのも存在するんです。

 

それはつまり、流されつつも制御していくことには多大なる労力がいるということなんですね。

 

普通のこと、

当たり前のこと、

毎日ローテしてるだけ

 

のことではないんです。

 

わかりやすくたとえるならば、

下りのエスカレーターを、上に登り続けるようなものです。

一生懸命上がり続けている。

はたからみたら、同じところを歩いているように見えるでしょうけれどもね。

 

(※上下が同じ速さとしたら、かつエスカレーターは短いので、それらの点まではたとえとしない)

 

一生懸命努力し続けているわけです。

成長し続けているわけです。

 

 

土から上に伸びる茎の長さが

変わらずに見える植物があっても、

土の下ではどんどん伸びている。

そんな状態です。

目に見えるのは、栄養を吸って、

緑の葉っぱをそのときどき生やしてるだけであっても。