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「いじめ」 私の場合(小学校での体験)

私も、いじめられたことがある。

小学生の頃…特に5年生頃だと思う。

最大値はクラス全員から丸1週間無視されたこと。

それ以外はあまり覚えていない。

 

私の育ちやスペックなどの背景として

影響の大きかったものはこの2つだろう。

 

 ①機能不全の家庭であるゆえに、

 歯磨きをする、体を清潔にする、

 髪や服装を整える、

という基本的な生活が身についていなかったことは大きい。

 ②障害児の「きょうだい」として、

 一般的な日本人の育つ環境とは違った環境体験があり、

 狭い「和」に馴染めないし、馴染む気もなかった。 

 

外部背景としては、

クラス内に、特に「リーダー」として威張る女子がいて、

その女子を中心とした「いじめ体質」複数人のグループが出来上がっていたのだ。

 

先日投稿した「『いじめ』 Sさん」

のSさんも、他の男子でも、

やはりそのグループを中心にいじめられたりしていた。

 

ちょっとでも気に障ることがあれば、

グループの複数人ではやしたてていじめる。

「いかにもいじめられる側が悪い」

という雰囲気を作ることで、

クラスのその他大勢もいじめに加担したり、

見て見ぬふりをした。

 

また、学校の担任にも問題があった。

いじめを助長したからだ。

 

そもそも、私は先述の通り異端児だったわけだが、

5年生になる前、3?4年生の時にとある男子から、

すれ違いざまにぶってこようとされたことがある。

 

その時私は「やめてよ!」と、体を押して避けたのだが、

その男子が突然大泣きしたのだ。

 

その子は肋骨を痛めていて腫れており、

たまたま、私の手がそこに当たったのだ。

 

それを担任が、

クラス全員を席につかせ、

私をいじめようとしてきた男子を前に立たせてお腹を見せて、

隣に私も立たせて、

「〇〇さんが殴ってこのようにしました」

と言ったのだ。

 

小学校3、4年生の普通の女子が、

肋骨にひびが入って腫れるほど殴る力があるわけがない。

 

「先生」のこうした暴挙というのは、

子供たちに大きな影響を与えてしまうのだ。

 

* * * * *

 

そうして5年生になった頃から

私はますます「ひとり」になったわけだ。

 

先生というのも、

子供にとって「接することの少ないおとな」

の1人だ。

 

「先生」の言うことというのは、

そのまま100%正しいことのように受け取りやすい。

 

私もそこは例外ではなかった。

 

「先生」という生き物は、

「みなさん、人に親切にしましょう、

人に優しくしましょう」

と常々言うように出来ているだけのことなのに、

 

私は

「そうか、この、私をいじめている人たちは、

私に『居なくなれ』といつも言っている。

私が居る事でこの子たちはすごく嫌な気持ちで

毎日過ごしているのか。

他人に対していいことをしなければならないのなら、

私に出来る事は、

この子たちの前から居なくなることだ。

私の存在が他人にとって迷惑なのだ。

私は死ななければいけないのだ」

 

と、思った。

 

ただ、昔のことだったから、

私には「死に方」がわからなかったのだ。

 

 

「そうだ、一度行ったスキー場、

雪の中だと眠りながら死ぬらしいから、

雪山に行って眠れば死ぬんじゃないだろうか」

くらいしか思いつかなかったのだ。

 

(包丁で刺すのも、飛び降りたりするのも、

怖いし痛そうだし、迷惑度が低くて痛くなくて、

確実なのは何かなぁと考えた)

 

とは言え、

私は特に「お小遣い」もあったわけじゃないし、

どうやって雪山まで行けばいいんだろう・・・と

それもわからなかったのだ。

 

「調べる手段」なんてものもなかったのだ。

 

《お金》は、

必要な時にもらうだけで済んでいた。

親類が少なくてお年玉もさしてなかったけれど、

お年玉は使うものだと思ってなくて、

貯金箱にしまってあった。

 

また今の子供とは違って、

子供同士で飲み食いするなんてせいぜい

駄菓子屋で200円程度買うくらいだったし、

「お金を使う」という感性もなかったのだ。

 

そういうことで私は自殺に至らなかっただけなのだ。

 

自ら「死にたい」と思ったわけではなかった。