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ニュース関連が増えてきました(・_・;)

あやまったり感謝したりは少なくしていい

念のために言うと、

私はブログでは(ブログというか論説文ですね)

既に大勢が言っていることは、言わなくてもいいと思っているのと、

それはつまり民主主義社会としては「多数派」=「正しい」だから、

票を増やす良さはあまりないどころか、偏りが増えていくだけなので、

私は「反対派」としてではなくて

「別の見方」としての考えを提示しています。

 

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承認欲求の解消方法が人によって違う(だけ)

認めて―

わかってよー

 

自分を他人に

より見てもらえるために

 

・・・・・・

 

怒る

泣く

喚く

すがる

いいことしようとする

他人を、おんぶや抱っこしようとする

「他人の為になることを」

しようとする

お金出す

いじわるする

媚びてみる

偉ぶってみる

ヨイショする

にこにこしてみる

着飾ってみる

役に立とう!と張り切る

悩みない?としつこくしてみる

化粧する

好きじゃない場所へ行く

なんかの会に参加する

宗教家にお願いしてみる

かわいそうな人になってみる

問題行動をやってみる

嘘を言ってみる

金持ちぶってみる

他人の面倒をみてみる

動物に話しかけてみる

世話をする

いい成績をとる

太ってみる

痩せてみる

それをSNSにあげてみる

いいねたくさんする

スゴイ人知ってるんだぞーと言ってみる

スゴイ人とつながろうとする

好きになってみる

嫌いになってみる

 

・・・・・・

現象(行動)と、感情(心)

って違ってたりする。

 

で、

 

こういうことやってるんだなー

 

と、思って眺める。

 

自分も、他人も。

 

おもしろいよ。

 

人間の本質、のひとつ

流れるプールが好き
人工波の、浅いところでわちゃわちゃしてるの好き。


広く、深い海に潜りたい人の方が
圧倒的に少ない。


深く考えたくない
ぬるくなった、浅くて安全な
人工波で遊んでたい。

お金払うのも好き。
だって安心って、買えるんだもん。

流れるプールで、流されてる方が好き。
自分で何もしてなくても、
なんかしてる感じがするんだもん。

自分で漁なんかしないで、
プールで売ってるカップめんのがいい。
だって、美味しいんだもん。

お金出せば簡単に手に入る。
なんでも。





すごいことやってても、浅い人が多い。
なぁんだ、浅いとこで遊ぶのが好きなだけなんだ。
流れるプールが好きなだけなんだ。

そこ、指摘されたくないのね。
自分で、こっちのほうが好きだと言えばいいだけなのに、
ふん、こっちのが、安全だし立派だし、
きれいでいいんだから
って、言ってるだけなのね。

好きなだけなのに。
なぁんだ。

私だけの“幸せ”を追及すればいい

何がどうなれば、幸せなのか、幸せでないのか、も、何かと比べることではない。

何をもってして自分は幸せなのだろうか。
自分の声をちゃんと聞く。



私は、
「人を大切にしよう!」
も、気に障っていた。

なぜか?
・その前に自分を大切にすること
・他者へは余裕があれば
・普通にしてて大切にしてる人も
そんな意識しなくていい
・他人を大切にしすぎている人は
「そのまま他人を大切にする」のでなく
逆に「他人を大切にしない」をやらないと、
自分を大切にできない

から。

でも、これらだけでは足りなかった。


なぜなら、

私は<私が大切にしたい人だけ大切にしたいから>

だったから。

私は他人を誰でも自分より大切にしてる人
ではないけれど、
大切にしたい人かどうかって、
気にしてなかったな、と気づいた。

あほくさいかもしれないけど。

当たり前に周りにいた人たちは
大切じゃない人だらけだったから。


大切じゃない人は大切にしなくてもいい。
(どうせ、邪険になんてできるわけないから、
それくらいの意識でいい)


私が、私らしくいると、
攻撃されるようになる。

昔は、「仕方ない😭」と思っていた。

今は「仕方ない😝」と、思える。

これからは、笑おう。

偏っている時。

問題が起きている時は、

自分の中の何かが偏っている時。

 

右に偏ってたら左にふる。

左に偏ってたら右にふる。

そして真ん中にする。

 

 

常識、モラル、ルール

にそぐわない人なんだー

 

 

と、思ってたことをやめることにした。

「外れている」と認識する必要がないということ。

「やっぱり私は変人だ」と思う必要もないということ。

 

私は

(なにかの)常識の中に生きない人。

でも、守らない人じゃない。

 

縛られたくない人。

でも、ルールを破りたいというわけではない。

 

そうしてたい・してなきゃだめだーって

思っている人たちに、ズルいって攻撃される。

自由にしててズルい。

ふざけてて、ズルい。

 

「ズルいって攻撃されてるなー」

と、思う必要もない。

 

「ずるいと思われるし攻撃されるんだ」

って思っていることを、やめよう。

 

この天秤を捨てる時がきたんだろうなぁ。

 

天秤がなければ、偏り様もない。

 

私は、いいひとでもわるいひとでもなく

 

「ただの私」になるだけでいいんだ。

 

 

私のお母さん(1)

私の母

農家の長女で昭和22年生まれ。

父(私の祖父)=厳格。トイレで月明かりで勉強して、憲兵になった。人望の厚い人で、葬式は長蛇の列を成した。

母(私の祖母)=細かい。色々な事をよく覚えている。

母によれば

「すぐ泣きじゃくってみっともなかった」

「90点以下だと怒られた」

 * * *

英語が好き。

朗らかで快活。

友達が多い。

結婚前はガリガリだったそうだが、

私の知っている母はぽっちゃり。

天パ。まじめ。

少しハデな趣味。(柄柄系じゃなくて色が)

ミュージカルが大好き。多趣味。

 

22歳でお見合い結婚をし、すぐ長兄を出産。

重度身体障害児。

板橋の小児医療センターで暮らす

(通所だったり平日宿泊したりしていたのかな?わからない)

年子で次兄を出産。

そして年の離れた私を出産。

長兄が2000年に亡くなる。

乳がん手術。南雲先生執刀。

(母と、叔母と3人でよく通った)

2005年、母58歳。1月私は結婚で埼玉→愛知へ。

6月に母緊急入院にてスキルス胃がん末期の診断。

翌2006年2月、59歳で永眠する。

 

* * *

 

私と母の思い出

 

・幼稚園時代、私が舞台の真ん中に出てきて

 「おかーーさーーーん!」と手を大きく振った。

 という話は散々聞かされた。そんなことをする子は他にいなかったそうで。

 

・母が自分がやりたくて出来なかったからと3歳からピアノを習わせられる。

 5歳の時、いきたくない!やだーー!と粘った時に、母が腕を引っ張って、

 腕が抜けた。

 

・その頃、母にはちょっとお金持ちで社交ダンスをする派手で美人な社長婦人の友達がいて、その人の家によく遊びに行っていた。

ある日、菓子箱からいくつか出して、私にくれたのだが、私が

「やだ!これじゃない!あっち(箱)がいい!」といただいたお菓子をほおりなげた、というので、これも散々聞かされた。(この光景は私もよく覚えている…)

 

・母はいつも、洗濯物をしていた。

 (長兄のために、洗濯機を1日5回はまわしてた)

 その横に、私はいつもいて、1人でじっくり遊んでいた。

 母はにこにこして「楽しそうねえ」といつも言うのだった。

 これは特によく思い出す。

 細長い洗濯かご(なんと実家にまだある)があって、

 それに入って遊ぶのが特に好きだった(2歳前のはいはいしていた時期)

 

・私が大人?になって、PCに向かってネットゲームやらチャット(当時はテキストチャットだけです)で遊びながらケタケタ笑っているので、

(※私は「(笑)」と書くときなんかは本当に笑っているから)

母は「ずーっとにこにこして、楽しそうね」と言った。

 

母は、「私は笑うのがへただから」と言っていたのも印象深い。

 

 

・私は過敏性腸症候群でよく下痢になった。

臭いのにトイレで背中をさすってくれたこともあったし、

出先で「おなかいたい」と言うと「気のせい!」とキレることもあった。

(とにかく、頑張り屋過ぎて自分の無理がわかっておらず、

全てにおいてクオリティが低い←共依存で苦しむタイプに多い)

 

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人間の「理想」~人生を楽しんで生きる

「実は、誰しも心の中に太陽はある」

と書きました。

 

***

前回のブログ「理想とは太陽だ」

https://blog.hatena.ne.jp/mohuwata/mo-mo-zu.hatenablog.com/edit?entry=17680117126988137852

***

 

五感で感じる世界に私たちは生きています。

この物理世界の理の中で生きているのだから、

つまり、心象世界というのも同じ理の中で、

ある意味縛られて生きているわけです。

 

この物質的世界には、

光と影があります。

 

心象世界が暗がりになっている時は、

太陽があるから暗くなるわけで、

「窓を開けよう」ということになるわけですね。

 

最初から最後まで真っ暗であれば、

それを「暗い」とも感じることはありませんからね。

 

だから必ず(この生きている世界には)「太陽はある」わけです。

 

 * * *

 

では、

「自分で考えるのが理想であり、太陽だ」

と言うのならば

「自分で考えなくてもある、というのはおかしい」

かもしれません。

 

それについて考えてみましょう。

 

人間にとって「最高」である「理想」とは「神様」です。

だから、神様を具現化させた形は「ヒト型」です。

 

ただ、「神様になりたい」というのはまぁほぼほぼ無理だし、

そんなこと言うと「独裁者になりたいのか!」と怒られたりするから

とてもみんな言えないわけです。

(みんなの自分の心の中では「そんな畏れ多い事考えたくない」だと思います。だけど実際には「他人をコントロールしたい」人とかもいるわけですよね。それは「神様」ですよね。)

 

そこでみんな、「人にも言える」ような

「憧れの誰か」を表面でつくっていたりします。

 

「〇〇さんみたいになりたいなぁ」

のずーっと先、延長線上の先っちょを見ていきましょう…

 

見えてきませんか?

「神様」に近い像が。

より高み、より高み・・・と見ていくと、

きっとそこには(あなたの)「神様」がいます。

(超えると「みんなの神様」になるわけですね)

 

 

《自分を本当にしっかり見る》

というのは、

「そんな畏れ多いことできんーーー><」

とか思わずに、

先っちょに「神様」を指定しちゃってるんだ…

と意識することでもあります。

 

もや~っとしてはっきりしなくてもいいのです。

「うわ~あるなぁ」と思えば。

何かするわけではないので、

怖がらずに窓を開ければいいです。

そうしたらただただ、明るく照らす太陽なだけだから。

 

何かしらの宗教の「神様」ではないです。

 

それを見たくないから窓をしめたり、

(実際の太陽は直視できませんから同じです)

 

手前の道に違うものをつくったりしてます。

 

ただ、明るく照らせば、

窓を開けるだけで、

人生を暗い谷だと思わずに生きていけるようになるはずですよ。

 

そして要所、要所というか、好きなところに、

海賊王とか、帝王とか、女王、とかいう

フィギュアでもおいておけば、

人生を楽しんで生きていけるようになるはずです。