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元気づける~「ほんのちょっとだけ”アゲ”て仮定する」

Let's cheer up !

 

元気具合を「好調指数」として図にしてみました。

 

※数字は、視覚で捉えやすいように、かつ

 説明がしやすいように設置したものです。

 

誰でもこんなふうに、気持ちは上がったり下がったりしているわけです。

一日の中でも上がったり下がったりしているでしょう。

 

 ※もし、特に何もなくても、

  ・ずっと下がりっぱなし

  ・50を振り切っている状態がずっと続いて突然下がる

  ・曖昧な理由で急に死にたくなる

  などの状態が続いている場合は病気などが疑われるので、

  このお話とは別です。

 

何気ない生活上での、多少の上がり下がりについてです。

例えば、誰かが《-30》のように見えたとします。

 

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直前で+30くらいあるので、

ガックリ下がったことで「より元気ないように見えるかもしれません。

昨日とか、3時間前とかだったら尚更ですね。

 

「どうしたの?元気ないね」

「キミらしくないよ?」

 

などと、声掛けする人が少なくありません。

 

これは「良くない」声掛けです。

 

どうしてかと言うと、

本人としてはこう思うかもしれないのです。

 

「たった一瞬だけ」

「そんなに元気ないわけじゃない」

「疲れただけ」

「休んでるだけ」

「キミらしくないって、じゃあホントの自分を私(俺)より、

 お前の方が知っているっていうのか?」

 

誉める、励ます、元気づける

といった行為は「良いもの」のようですが、

《相手の心理状態に踏み込む行為》のため、

ある程度の「信頼」とか「信用」が要るのです。

 

自分が「これは良い行為だ」と思っているからといって、

それを受けた人が同じように「良い」と受け取るかはわかりません。

 

他人についても、自分についても

「まさに”今”の状態」そのものを認める、視認するべきなのです。

目の前に実際にあるのだから。

 

だから

「前=自分が知っている・こうであるはずだと妄想している」

状態と比べる必要性はありません。

 

理想としてはできるだけ「0(ゼロ)」だと仮定することです。

要は「フラット」な状態です。

 

ただ、

気持ち・気分というのは変動しやすいもので

(あまり振り回されない人と振り回される人はいますが)

色々な「比較」の中で認識していることが多いはずです。

(過去の自分、周りの様子などと比較)

 

そのためのcheer up方法として

こちらの図のように

「-30くらいに見える」場合は

直前の「+30」(過去)ではなくて、

少し上の状態、

”今”の-30より+10くらい」だとしてしまうことをお薦めします。

 

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そうすると、

「めちゃくちゃ落ち込んでるな…」ではなくて、

左端のもっと低い状態よりもだいぶマシに見えますから、

例えば

「元気ないけど、こないだみんなの前で先生に怒られてたよりかはマシそう」

というふうに見ることが出来るので、

「なぁ、今日は金曜だし、カラオケでもいってパーッと遊ばねえ?」

と声掛けすることになるかもしれません。

 

もし-30かそれ以下で、

「彼女にとうとう振られたのかな」なんて妄想すると

「生きていればいいこともあるよ」

なんて声掛けしてしまうこともあるわけです。

 

そんなふうに他人を見ていることはありませんか?

「元気ないほうに見積もらない」ことが大切です。

 

ちょっとだけ「元気がある」方に仮定して接することが大切です。

 

 

《より重く見ない》

《ちょっとだけよく見る》

というのは、あらゆる場面でとても大切です。

 

 

 

これは、他人だけでなく、自分自身にも同じことが言えます。

 

「この間は30だったのになぁ、今日は10だけだ・・・」

と「前回の”好調”具合」と比較してしまい、30-10の差「20」で、

-20だ」というふうに捉えてしまうんですね。

 

”不調”の「-30」だった時より「+40」も上がっているのに、

もっと良かった時」を基準として「-20じゃダメだ

なんて思ってしまったりするからです。(錯覚)

 

 

大体いつも30の人がいるとします。

10くらい、ちょっとだけ様子が違うな、と思ったとしても、

20くらいだと思っておくと、

やたらと「すごく元気ないね?」なんて言わずに

本人が何か知らせてくればよく聞こう、と心づもりだけしておけますよね。

 

そしてもし、

0とか-10くらいに見えたら

「どうかした?」と聞いてもいいかもしれないし、

ただ、近くにいるだけでもいいわけです。

 

本人が、声掛けしたければいつでもできるように。

 

 

 

 

「元気づける」というのは、

 

より重い方に捉えて、それを表現するとか

(ということは、”いつもはそれより元気であることを前提”とした話になる)

 

隣でチアリーダーのようにほらほら元気出せよ!と鼓舞することではなくて、

(”変われ”というのは、目の前の相手を否定していることになる。

 試合中の鼓舞とは違う)

 

いつでも力になれる

ということを近くでそっと示しておくこと、

心の扉を開けておくことなのですね。

 

 

「カラオケでも行ってぱーっと騒ごうよ!」

と誘ってみてOKということもあるかもしれません。

これは、

「ほら立ち上がれ!やれ!元気出せよ!」

と言っているのとは違いますよね。

 

「一緒に楽しもう」とか、

「何か気持ちをくみ取ってくれているんだな」

ということがわかりますよね。

 

「あなたがこうしろ」と言っているわけではないということです。

(=他人の行動や考え方を変えることを強要している)

 

「一緒にいるよ」と相手の”まさに今”の存在を認めていることですね。

 

 

 

「元気づけたい」という気持ちが本当に、

心の奥から沸き起こってきてあるものならば、

 

「一緒にいるよ」と相手の”まさに今”の存在を認める

ことができるはずです。

 

 

もしもそうじゃない方法を

「元気づけている」つもりで他人にやってしまっていることが

あれば、それは、自分自身の心の中に「どうしてかな?」と

いったん他人ではなくて自分を見つめてみる必要もあるかもしれません。