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ニュース関連が増えてきました(・_・;)

孤独力、同調圧力

doors.nikkei.com

 

聞き手/鈴木信行氏

諸富さんの言う「周囲と同じことをしなければならない」という同調圧力は、友達作りや仕事に限らず、日本人の人生を生きづらくさせる大きな原因になっていると思えてなりません。

 

日本人は、なぜそこまで群れたがるのか?

日本の1企業が1年間に使っている「会議」時間(約34年分)

グーグルは年8時間ということ。

日本の個人生産量は少ない。

(会議時間が長すぎるということと、良い発想は孤独時間、自分自身との対話で生まれる、

 

ということなども目についたところだった。

 

 

私はこの「周囲と同じことをしなければならない」

が得意ではなくて、したとしても、飽きてしまう。

個人主義というか、一匹狼と言うか、

協調性が欠けているというか、わがままというか。

 

そこまでして、同じでいなきゃ!と思わないわけで。

でも「圧力」はわかる。

 

 

同じになれとは言わないけれど

協力し合うことと、

同調しなければならないということとは、

分けられるようになればいいんじゃないかな、と思う。

 

 

上記でも書かれているのだが、

<学校教育の場で、その「同調圧力」の中で生きない選択は苦しい、

ことを体感して身に付けていく>

という内容がある。

 

 

これで苦しみすぎている、中高生が少なくないことを

ひしひしと感じているから。

 

DV被害に遭った事がある女性、死者数

2019年2月20日 05:33のニュース。

www.okinawatimes.co.jp

 

 

2019年4月15日 08:26のニュース。

www.okinawatimes.co.jp

 

「えー?」

じゃないんだよね。

 

年間150人くらいの女性が殺されている。

上記の方のように、幼い子供がいる人もいるはずだ。

 

「150人にあたらなければいいんだ、なぁんだ、

アタシ(友人・知人)は大丈夫でしょ」

 

という楽観視はできない。

 

死ぬ人がいる前に、

 

3人に1人はDV被害経験があり、

20人に1人は命の危機を感じる被害を受けているのだから。

 

死亡しなくても、「精神が殺された」と思う人だっている。

150人は「他殺」だ。

DVによる「自殺者」を含めたら、死者数は増大するだろう。

toyokeizai.net

「成長していく」という言葉に思うこと

 

noteの方に、「セルフネグレクト」で思うことを書いていますが…

 

自らの肉体を、朽ちるに任す行為は、

かくも悲しき行為です。

 

いったん、その、負のスパイラルに陥れば、

抜け出すのは厳しくなる。

心が落ちてゆく。

肉体もすさんでゆく。

絡み合い、双方の重さで引きずりあうように

淀んだ底へと沈みゆく。

 

我々の肉体は、ただの魂の小舟です。

 

そのままにしていては、浮き続けることも叶いません。

 

自分が、浮いているのか沈んでいるのか、

天と地さえ不明確になってしまう。

 

学校には来ている、

とかいうレベルでなく、

「なぜ、身だしなみを整えないのか」

「なぜ、清潔にしないのか」

 

さあ、やろう、やってあげよう、

などいくら言っても聞きません。

 

「辛すぎて動けない」

「なんとなくめんどくさい」

 

セルフネグレクトは必ずしも

鬱などになったからやるわけではなく、

面倒くさいなぁとほかのことをやる方がよくていつのまにか負のスパイラルにはまり、

竿をもたずに流されていく状態の全てなのではないでしょうか。

 

面倒だ…は、本人が精神的負担が大きくてやる気をなくしている、本筋から逃げている、そういう様々なことがあります。

だから、一様な“助け方”が存在するわけではないでしょう。

 

流れに身を任せないで、

竿を持って沈まぬように流れにのっていく。

それは、自意識、自己制御。

 

この小舟は、いつか朽ちてしまうまでは

降りることはできません。

 

だから、、制御していくための竿がいるのです。なくても流されてはいきますが。

 

これはかなり、労力が要るんです。

しっかりもって、ずっと見張って漕いでいくわけなのだから。

 

何かすごいことをしなくても、

毎日、顔を洗って化粧をしたり、

服を選んで買ってきたものを、

またどう組み合わせてきようかと考えたり、

していますよね。

栄養のある食事をしよう、

洗濯する、とかもね。

 

それは、他者に対する見栄えを頑張る、

ということの前に、

自分の中でやってることですね。

(人にあうからきれいに身支度を整える、

という時にプラスされる見栄えの面はあるけど、それは置いといて。)

 

単純作業であたりまえだと思ってやっています。

 

 

けれども、こうしたことというのは、

 

時間の流れのままにすれば、

あっというまに朽ちることなんです。

 

やってみたことがありますか?

テレビの、映像でしかみたことがなかったら

一週間くらいやってみてください。

 

何もせずに時の流れに流されるということを。

 

なにもしない楽さ、

というのも存在するんです。

 

それはつまり、流されつつも制御していくことには多大なる労力がいるということなんですね。

 

普通のこと、

当たり前のこと、

毎日ローテしてるだけ

 

のことではないんです。

 

わかりやすくたとえるならば、

下りのエスカレーターを、上に登り続けるようなものです。

一生懸命上がり続けている。

はたからみたら、同じところを歩いているように見えるでしょうけれどもね。

 

(※上下が同じ速さとしたら、かつエスカレーターは短いので、それらの点まではたとえとしない)

 

一生懸命努力し続けているわけです。

成長し続けているわけです。

 

 

土から上に伸びる茎の長さが

変わらずに見える植物があっても、

土の下ではどんどん伸びている。

そんな状態です。

目に見えるのは、栄養を吸って、

緑の葉っぱをそのときどき生やしてるだけであっても。

 

 

 

ニュース「生活保護受給者の生活習慣の改善指導へ」

 

www3.nhk.or.jp

厚生労働省などによりますと、生活保護を受けている人は食事の栄養バランスが偏っていたり、運動する機会が少なかったりして糖尿病や高血圧などの生活習慣病にかかる割合が高いということです。

 

 

上記生活保護を受けている人は食事の栄養バランスが偏って」いる状況は、

 

「すべて国民は健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する。」

日本国憲法第25条)

 

に反している。

 

そして

「栄養バランスが偏って」いる状況で、

 

なんらかの、身体的精神的等に問題があって

そもそも生活保護を受けなきゃ生活できない状況にある人が、

 

運動する機会が少なかったり」するのは、

 

当たり前のことではないか。

 

生活に困っている方々に最低限度の生活を保障するとともに、その方々が自分の力で生活していけるよう援助すること」

生活保護法ー

 

 

それでは、(少しでも)

「自分の力で生活していけるよう援助」しているとは言えまい。

 

 

<運動することの大切さ>

については、研究が進んでいて、

単純に「気分がよくなる」だけではないことがわかっている。

 

筋肉からもホルモンが分泌される。

神経の接続をよりよくしたり、

歩けない人、何らかの痛みが強い人などが動けるようになったり、

痛みを軽減する作用がある。

 

それぞれの状態に応じた運動が行えるようにサポートしていき

自助力を上げていくことも必要だろう。

 

 

こうした取り組みを強化していくことで、

数十年後、というか20年後の超高齢化社会をよくしていく

礎が強化されていくことになるのだから、

我々全体が、「どこかの知らん人」のためではなくて

来るほんの数十年後のためにも個人個人から各共同体まで

意識的に実施していくべきだろう。

 

「やらないと不安」くらいまで落とし込んで

ちょうどいいと思う。

 

 

それはたとえば今、70歳の老人ドライバーの運転免許や

運動機能の話を、

「しばらくあとの自分が70歳になったとき用」

に考えておくのも同じことだ。

 

 

そうした考え方~取り組みが今、必要だ。

感情語。プルチックの感情の輪

こういうのがあるんですね。

 

感情の一覧 - Wikipedia

ja.wikipedia.org

Plutchikの感情の輪

f:id:mohuwata:20190701145828p:plain

 

ここでは

LOVE =Trust + Joy

GUILT =Fear + Joy

PRIDE =Anger + Joy

 

 FearもTrustも「信頼」です。

 日本語では捉えにくいですね。

 日本人は「感情を表さない」と言うけれど、

感情を表さないというか、表す=集団から突出する行為となり、

個人の感情をおおっぴらに優先できない歴史がそうさせたのでしょうか。

感情表現についてはうすっぺらい民族なのでしょうか。

 

 

ブログでこの図の訳、見方をもっと

わかりやすく書いてくれている人もいるようなので、

調べてみたいと思います。

 

 

**********

 

ところで「私はとても喜んでおります」とは言わないから、

代わりに「私は幸福です」と言うのでしょうか。

 

この時の「幸福」という感情のきっかけは、

《自分の意向、言動だけでは得ることが出来ない》

という意味合いを含みますよね。

 

運がいい(意外)とか、

相手に存外に何かしてもらえたとか。

 

自分の努力で何かを手に入れた時には、

「努力が実った、かいがあった」というふうに言いますからね。

 

 

「幸福になりたい」

と言う時、それは、

100%自力でそうなるものでもない、

という少々残念な意味合いをやはり含んでいると思います。

 

望んだだけでも、努力しただけでも手に入らない感じがします。

 

そうした外力によって「なれる」

 

天災の逆のようなものですね。

要するに、天幸ですね。

 

 

 

 

「生活苦しい」57%ニュース~「551万円」にモヤモヤ

 これね。

 

www3.nhk.or.jp

 

 

「平均所得551万円」って、いうの、

例えばだよ、年収1200万円以上の世帯を除外してから、

とかが必要ではないんですかね。

だって、とんでもなく何十億と1人で持っている人もいるわけですからね。

 

1億円以上(何世帯)を除外した場合

1500万円以上(何世帯)を除外した場合

みたいに「富裕層」を除外した方がいいと思うんですよね・・・

 

富裕層でない、つまり「ふつう」以下の世帯の

平均年収ならもっと少なくないですか?

551万なんて全然ないと思う。

 

それはまた、

年収50万円、みたいな人がいたりもあるでしょうけれど。

 

 

細かい計算とか知らないんだけど、

いつも「うーん」とモヤモヤします。

腐らないで生きる

昨日、ピピピさんの紹介をしてみた。

 

 ↓こういうニュースがあるから、

 ピピピさん(きわめて希少)の姿を見ると、安心するのだ。

nikkan-spa.jp

 

だって、こういうニュースばっかりだから、本当に。

実際はどうかわからないけど。

「現実たりうる」情報をそんなにゴリ押ししないでほしいなぁ。

解決策提示で出してくれているならいざ知れず。

怖い。

 

生きてるのが怖くなる。

そうなっていない段階だからこそなんだろうけど、

でも「自分は絶対そうならない」という安心できるような

場所から覗いているわけでなく、

明日かもしれないという恐怖の日常を抱えているような

状態の者にとっては、本当に痛い。

 

まだ、であってもまるで今現在、針のむしろに立たされた如く痛いのだ。

 

 

人は、

 

自分と同じような立場のくせに、

抜け出てくやしい、むかつく!(おいてきぼりにされた悲しさ)

そんなわけあるか!(自分はできないと諦めないといられない)

 

そういう狭間で生きている。

 

 

 

何をみて、どう思うか。

自分の感情をどのように記録するか。

 

記録することを躊躇しない。

どんなに直視するのがつらくても。

 

太陽ほどには、人の心を焼くわけでないのだから。

 

 

腐りかけた時に人は、

 

「何者でもない」と自分を追いつめたりするが

 

優しく丁寧に扱ってやろう。

 

その胸の傷に、ばんそうこうをはってやろう。

 

自分で。

 

生きよう。