「いじめ」 加害者と被害者との共通項と違い
「いじめ」について、経験者として思うところがあって、
何回かにわたって書いております。
前回と前々回は、
・いじめた経験
・いじめられた経験
を書きました。
今回は、それぞれの背景について書きます。
ただ、専門的な構造や心理的なものについては、
すでに専門家が書いていますから、体験記として読んでください。
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《 共 通 項 》
大体、家庭に問題があることが多いでしょう。
それはイコール家庭が悪いというわけじゃない。
そんな「悪即斬」みたいに割り切れないのが実際の世の中だから。
参考単語を挙げるなら
愛着・インナーチャイルド・AC・機能不全家庭などがあるでしょう。
要するに、
子供の精神で抱えられないものをもっている、ということ。
家庭の外で、子供がおおらかにのびのびとした「自分らしい自分」
でいられない、ということ。
《 違 い 》
加害者でも被害者でも、問題は
・愛着や自己愛、自己肯定感、自尊心などの問題。
・人格、性格、性質、色々な障害・・・
(持って生まれたものと後天的なもの)
※特に身近な大人である親の言動から、
「人間社会における、他人とのやりとりの仕方」
というものをインプリンティング的に身に付けていること。
(文字通りの刷り込み、見て学ぶ、実体験から学ぶ)
「違い」というのは、
上記の問題を、どう扱うか。
被害者になりがちな人なら
「子供本人が苦しく、つらい」場合は「治したい」とか
「改善したい」と思ったりする。
加害者になりがちな人は、
「子供本人が、自分が苦しまないような他者との関係性を築く」から、
「改善したい」とは思わない。
そんな「損」なことしたいわけがない。
この「違い」が非常に大きい。
(※「なりがち」というのにはわけがあって、一番下で記載します)
* * * * *
私の子供が今より小さい時、
2人で散歩中、公園のわきを通りがかった。
小学5年生くらいの女子3人、男子1人が遊んでいた。
そのうちの1人の女の子が、男の子を不当に罵倒していた。
「理由」もなくただ、「だから、おまえが悪いんだろ」とか
「謝れ」ということを繰り返して怒鳴っていた。
男の子は「どうして、なにが」とか「そうじゃない」という
一般的な「会話」をしようと何度も心がけていた。
その場を去ることではなくて。
小さい子供を抱えていた私は、そのまま通り過ぎた。
* * * * *
この場面は
「特にいじめの加害者になるタイプの人間」がいるものだ。
少女の罵倒は、決して「意見の食い違い」でも、
「口げんか」でもない。
身体的な暴力はないし、
相手の男の子も、黙ってうつむいて泣いているわけではない。
だけど、その女の子は、
その場全体の流れを自分の味方につけてしまっているし、
男の子は「釈明に必死」かのような状況になってしまっている。
この子たちにそれを伝えようと、
注意しようと、
何も変わることはない。
そんな、場当たり的な対処ではどうにもならないか、
十中八九もっとひどいことになる。
こういうふうに、
問題視すべき重い問題につながるような「いじめ」というのは、
他人の精神をコントロールしてしまう人物が
中心の「目」となって巻き起こしていることが多い。
そういう人物は、
権力や腕力も強く、掌握する術に長けている。
* * * * *
一方、前々回で書いた、自分の体験のようなこともあり、
「いじめの問題」はこじれやすい。
被害者が加害者になったり、
加害者が被害者になったりする場合。
大人でも、
本当に普通の人なのだが、
ちょっとしたイライラや不運が重なった時などに、
他人の言動が羨ましかったり妬ましかったりして、
うっかり八つ当たりしてしまうこともあるだろう。
これと似ている。
そこへ「集団心理」だったり
一度乗った道から外れにくい心情になったりがあって、
ひどいことをしてしまった・・・
ということもあるだろう。
いじめが発生する時、
自他の境界線の分断があまりうまくできていないこと、
自尊心が低いことなどから、
迎合や同調しやすい状態になっているとか、
精神的に様々な環境の変化や辛いことに耐えられる状態でない
とかいう性質や環境といった背景もある。
そうすると、
被害者になったり加害者になったりもするし、
先に挙げたような人物、つまり、
「強い力を持っていそうな人物」が
「正しいのはこれだ!」と強く主張することで
「それが正しいんだ」と自分の感情や考えは捨ておいて、
その通りに思い込んでしまったりして、
強固な”加害者”グループになってしまったり、
持ち上げてしまうサポーターとなってしまったりする。