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「いじめ」~私の体験 Sさん

私は小学校でいじめを受けたことがある。

しかし、

私もいじめをしてしまったことがある。

 

4年生だったろうか。

よく話す女の子が2人いて、

うちの1人、Sさんに「くさい」と言ってしまった。

いや、実際に「くさいよ」って言ったと思うけど、

言葉で言ったかは定かではない。

 

その時の自分の気持ちはよく覚えている。

ただひたすら「くさくていやだ」。

 

たまたまSさんが私の後ろの席になったのだ。

後ろから独特な臭いが漂ってきて、

「私の服にもつく、つく><」とこればかり

一日中気にして、

自分の服をひっぱって臭いをかいでみたり、

周囲をパタパタと仰いでみたりしていた。

周り中にも、Sさんにもわかる行為だったはずだ。

 

* * * * *

 

Sさんの家庭は、

祖母とSさんの2人暮らしだった。

いわゆる「長屋」に住んでいた。

 

Sさんの家には、

もう1人の友達と行ったことが2,3度ある。

Sさんが休んだ時に、先生から

「仲がいいから、あなたたちがプリントを届ける」

ように言われた時と、

なんでもない日に遊びに行ったことがあるのだ。

 

雑多なものはないのだけれど、何かぼろぼろとしていた。

おしゃれさのない部屋で、

キッチンの蛇口から奥の方へ、長いホースが伸びていた。

「これは何か」と聞くと、

「お風呂のお湯を入れる」のだと言っていた。

私はそのような入れ方を見たことがなかったので、

ひどくわびしいような気持ちになったのだ。

 

それから、歪んだ畳みに何枚か敷物が敷いてあって、

けっこうな長さのピンで、直接留めてあるものもあった。

私はそのピンに気付かず、抜けかけたピンが足にささって気づいたのだ。

 

よその家に行くと、必ず雰囲気やにおいが違うもので、

小さい頃はそれが特に印象に残る。感性を刺激する。

 

昭和初期のようなデザインの敷物と、

私の足に刺さった古びたピンは、

Sさんの家の虚ろな空気や明かりを象徴するものとなったのだ。

 

要するに、「貧乏」だったのだ。

今から数十年昔だ。

 

両親がいない子供というのは、

今よりもっと稀有な存在だった。

腰の曲がったおばあさんと2人暮らしというのも、

非常にレアケースで、頑張っていたわけなのに、

子供の私には、

そういうことを理解する脳みそもないし、

知識もなかったのだ。

 

Sさんは5年か、6年の時、

「北海道にいる親類の家(どちらかの親?)に行くことになった」

と引っ越して行った。

 

 

Sさんには、虚言癖があった。

「私、天皇陛下とテニスをしてきたんだよ、本当だよ」

 

クラス全員が、「嘘だ!」と、Sさんを廊下の端まで追いつめた。

けれども、

「あまりにもわかりやすい嘘をついている」ことと

「撤回しないこと、さらに上塗りすること」から、

全員がSさんをかばうことはなかった。

 

こういうことは、たまにあった。

 

 

それから数年して、

 

私は、

 

Sさんの虚言も、育ちからくるものであって、

同じ子供だからどうにもならないことだった。

そして、もし、

Sさんとバッタリ出くわすなりして、

Sさんが、

「あんたのせいで、私の人生は台無しになったんだ!」

とナイフで刺してこようとしたら、

私は、甘んじて刺されよう、

殺されるなら、殺されよう、

と思ったのだ。

 

そう、覚悟を決めた。

 

Sさんのことは、まれにふと思い出す。

 

クラスの全員が悪かろうと、

実際に刺したら、捕まるのはSさんなんだけれども、

それでももし、Sさんの気が晴れるなら、

そうされても仕方ないと思う。

 

 

「いじめ」は、

 

いじめる側も、「それで罪悪感を感じるならば」

いやな気持ちになるものだけれども、

 

いじめられた側の、心の傷というものは、

もう、どうにもならないほどにひどくやっかいで、

苦しめるものだから。