「楽しい」と「面白い」
ユリさんが、タカオさんに言うとしましょう。
Aあなたは楽しい人ですね
Bあなたは面白い人ですね
Aは変。
Bは、私はよく言われます。
A
「あなた=タカオ」が楽しくしているということのような、
「タカオといると楽しいわ」と言っているのか、判断が難しいですね。
小さな子供が一人遊びをしている様子を見た親が、
「まあ、楽しそうね^^」とか
「あら、楽しいの」と、その子の気持ちを代弁して言ったりします。
B
「あら、それが面白いのね」と小さい子供には言うでしょう。
この場合は「fun」ではなくて「interesting」なのがわかるでしょう。
「面白い」は興味を持っているという意味があるわけです。
対象物があり、それを見たりいじったりしている人がいるわけです。
その人間の注意が対象物に向いている状態が「興味がある」です。
「興味」は「おもしろみがある」ということです。
実際には美味しいか不味いかわかりませんが、
「こんな見たことのない果物はどんな味か試してみたいなぁ」
といった気持ちですね。
一方「A楽しい」をここで使うなら、例えば
「この果物を食べた時の自分の反応を
あれこれ想像すると楽しいなぁ」
ということになるでしょう。
ところで
「タカオといると、私は面白いわ」
というのはおかしな感じがしますね。
「タカオといると、私は楽しいわ」
はよく聞くフレーズなのに。
つまり「タカオは面白い人だ」という使い方をするものだからですね。
「私が、面白い気持ちになる」という使い方はしないのですね。
「私が面白い」は、
「私が何か対象物に対して興味をもっていますよ」
という意味か、
「私という人間は興味を持たれやすい人間だ」
という意味になります。
「タカオは面白い人ね」
=あなたに大変興味を持っていますよ
と使えるものであって、
「タカオを見てる私は面白いわ」
という使い方にはなりません。
「人生は楽しい」と使う時、
「私は私の人生を楽しいと感じている」という意味になります。
「私の感情が、楽しい気持ちでいる」という意味ですね。
生きていることが人生だから。
(人生は楽しいものだ、は、個人のその感覚を、
他の人もみんなそれぞれ、そう感じるものだ、と言っているだけですね)
「人生は面白い」と使う時はどうでしょうか。
「私の気持ちが面白くなる」わけではないんですよね、
自分の人生に興味をもつということです、
悪い意味ではなくて、
「なにかわくわくするんじゃないだろうか?
という気持ちで注目してます」ということになります。
「興がさめる」というふうに「興」とは「面白がる姿勢や見方」
を示しているわけですね。
わくわくする気持ち、そのものではないのです。
そこに視点をもっていくと
わくわくした心を持てるということですね。
対象物を見ることが楽しいわけではないんですね。
宝箱を開ける前の気持ちですね。
だから、
開けたら「ミミックやったわ!」っていうこともあるわけです。
「人生は面白い」
と言う時、
「ミミックかもしれないし、お宝が入っているかもしれない」
そういうわくわく感を含有していると言えるでしょう。
(ユリさんとタカオさんは、どこへ行ってしまったのやら。ふっw)