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ニュース関連が増えてきました(・_・;)

ポジティヴという名の偽装

ネガティヴ=悪

として、

 

ポジティヴ

と称した、

 

美しい衣装をまとわせる行為が流行っている。

これは

「ポジティヴ」という名の偽装行為だ。

 

「歯に衣きせていますよ」

なんて言えないから、

「ポジ変換」と言い換えている。

 

「本当」が0パーセントじゃないから

「そうかもな」

「たしかに」

「そのとおり!」

 

なぁんて思ってしまうのよ。

 

「びんぼっちゃま」の衣装みたいなもの。

 

雑です。

 

なのに、

 

人は、

 

「見たくないもの」をスルーしやすいので、

こんな雑な「偽装」でも見抜けなくなるし、

 

自ら「びんぼっちゃま」仕様の衣装を身にまとう。

 

どんなにぼろぼろで、センスが悪くて、古い服でも、

それが「自分でチクチクとつくってきた衣装」であれば、

それを堂々と着ていていいのに。

 

「偽造工作」をかっこよくすればするほど、

映画の一幕を観るように、心が躍って、

益々、その「偽装工作」を受けていれていく。

 

 

偽装工作がニュースになると、

直接の被害者以外もわめきたてるのは、

 

そういう「自分に対する偽装工作」もまた、

「いつか誰かに見破られてしまうのではないだろうか」

という心配が沸き起こるから。

 

「自分はそんなこと絶対してないから!」

って言いたいんだよ、自分に対して。

 

自己の内面を、自分で偽装工作してもしなくても

そこには「証拠」もいし

「問い詰められる」こともない。

 

だけど「嘘をついていること」が「怖い」。

だから、攻撃する。

 

 

「本当の自分はひ弱で、心細くって、

寒くって、死にそうなほど悲しくて、

ダメなんじゃないだろうか」

という気持ちがどこかにあるから。

 

だから、直視したくない。

ポジティヴにしがみつく。

 

 

そうすることで、

ネガティヴとかポジティヴとか

に属することもない、

 

たったひとりの「わたし」

という大切な自分を、

本当はないがしろにしてしまっている、

 

ということに気付くことができない。

 

偽装をやめても、

びんぼっちゃまをやめても、

 

「わたしはわたし」でちゃんといるし、

 

やめた先にしか、

 

 

「本当は、清らかで美しいわたし」

に出会うこともできない。

 

 

他者を呪ったり怒ったりし続けていく「私」

を見ている、内側の「私」は泣いているかもしれない。