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ニュース関連が増えてきました(・_・;)

憩室炎?その後、検査前日。

人生初めての大腸内視鏡です。

受けたことないんだよなぁ。

お腹弱いし、受けなきゃいけないってのに。

 

 

今日の朝食・昼食は普通。

夕食は消化に良い食べ物だけ。

翌朝、下剤を飲む。

 

検査は明日午後。

それ前に、自宅にて、内臓をきれいにするべく、

薬と水を飲む。

 

ポリープ程度ならその場でとる。その分時間がかかる。

それより・・・だとどうなるんだろう、こわいよ。

 

結果が悲惨だと公開もしたくないかもしれないから、

躊躇しつつ、あげておく。

 

結果については書くか書かないかわからない。

 

仕事終わってからはお菓子が食べられないのかーと思ったら

食べたくなったので買いに行ったが、

休憩時間が終わってしまい、

3口ほどもぐもぐしながら事務室に駆け込んで終わった。

 

 

大腸の内視鏡とか毎日やってる先生はえらいなぁ。

「仕事だから」と言ってもね。

他人のおけつも内臓も毎日見てるんだもんなぁ。

外科医ならずと、完全に切り分けられてないとな仕事。

 

先生は、どっちかというと、好きな方。

尊敬も信頼もなにももてそうにない先生には、

検査とかしてほしくないよなw

 

んで、CT検査してないんだ。

これもしたいのだ。

年2回くらいしてたいよ。

 

まぁいいか。あー緊張してきた。

 

以上なり。。。

嘲笑と愉快な笑いの違いがいじめの難しさの1つ、その他

いじめ問題は、確かに難しい。

 

 

亡父は、

私:父=1:1の場で、

私の悪口を、私に笑いながら言って、

それを怒ると

「何も話ができねえじゃねえか」と言った。

 

お笑いで、

A「おまえますます太ったんじゃねえか?」

B「まぁな、でもおまえほどじゃねえだろw

  っていうか、別人だろw」

 (本当はAじゃなくてCだった)

 

という会話があったとして、

これを笑うのは第三者の「聴衆」だ。

 

父は、芸人をみると「こんなやつら!ばかが!」

と「ボケ」をリアルにバカでふざけているのだと思うのか、

ばかにしながら、

「やってはいけないお笑いのマネの仕方」を自分はやっていたわけだ。

 

「笑う聴衆」が不在ということだ。

「第三者」ではなくて「自分」が嘲笑者なのだ。

 

この立ち位置は「いじめ」ではもっぱらよく使われている。

 

 

 

再び父の話をするが、

 

昔、久しぶりに親戚のお姉さん…当時30歳くらいの女性に会った際、

父は「太ったんじゃねえのか?へっへっへ」と笑った。

お姉さんは「やぁだ、そんなことないわよ」と笑い返した。

 

お姉さんの「笑い」はただの「作法」だ。

喧嘩をせず、その場を丸く収めるためだ。

 

父の笑いはただの「下卑た笑い」「嘲笑」だ。

 

しかし表面的にはどちらも「笑っている」のだ。

 

日本の「表現」のあり方と、

全員が理解するように確実に簡便に説明し周知させる

(「楽しい笑いではなくて、嘲笑だ」とわからしめること)

ことのむつかしさは、こういうところにある。

 

「なにをもってして”嘲笑”」と認定するか、ということだ。

 

これを世の人の多くは

「被害を受けた人が”被害を受けた”と感じたら」

なんて言うから、

 

故意に他人を嘲る人間が、

「被害者だと言い張るコイツは病気だ。妄想だ」

と豪語し、それがまかり通ったりする。

 

そういう他人にとって毒になる人間が、

手を変え品を変え、

自分がまかり通ることだけに、全力投球しているのだから。

 

そして本心ではニタニタしながら、

弱者や、心根の優しい人間や、

上記のお姉さんのような

「ごく一般的に、円満で和平を保とうとする」タイプの人などを

「いじめの対象」として捕まえるべく、

狡猾に捜し歩き、ワナをはり、見張り続けているのだ。

 

 

害を与えられるのは、いじめ被害者だけではない。

「見聞きしているだけの傍観者も加害者だ」というように、

そういう人たちも、そういう態度が身について、

あとで発揮するのだ。

その時の「罪悪感」から。

 

罪悪感がわくと同時に、自ら隠ぺいする。

隠ぺい体質の人間が、わんさか生まれていく。

 

いじめがあった時に、

加害者以外の人間が「声をあげられる」環境づくりをしていかないと、

どんどん隠ぺい体質の人間が造られていくのだ。

 

加害者はより強度を増す。応援されているのと同じことだから。

それから、

加害者の暴言等は、周囲の人間の心理状態も悪くすることが分かっている。

こうして加害者が大手を振って楽しく過ごせる環境が広まるほど、

うつになる人間が増えていくのだ。

 

上司が部下へ、部下は後輩、新人へ、

それぞれが家庭へ、家庭では一番弱い子ども、動物虐待など・・・

というふうに、

「社会的立場の弱い方へ」とどんどんどんどん、

「いじめ」というヘドロが流れていくのだ。

 

 

 

人間が、人間を熱湯に投げ入れて、

「おまえのような心の冷たいやつには、

ちょうどいい温度だろう!ありがたく思え!」と笑う。 

そして、周りの人間たちに、

「ほら、おまえたち!おもしろいだろう!わらえ!」

と、その人達は吐きながら笑わされる。

そんなようなものだ。

 

聴衆の誰かは、

家に帰ったら「ああ、胸糞悪い。こんちくしょう!酒もってこい!」

と浴びるように酒を飲んで、妻子を殴ってそこらへんに寝転がる

・・・かもしれない。

 

そんな様相だと想像してみよう。

 

 

現代人は、テレビにうつるときは、公の場では、

きれいなYシャツを着て、スーツを着て、

身だしなみをととのえるべし、

 

なぁんてみんな知っているからね。

誰もが・・どんなおおかみだって、羊のように見せかけられる。

発達障害の薬、睡眠について目についたサイト。

うーん、果たして本当に、薬を投与すればいいということなのだろうか?

下記(2つめのほう)サイトでは、「覚せい剤」ともう書いちゃってるし。

 

こうして「違法ではなくて、手に入る(^^)/ヤッタァ!」と

喜んで利用する人間も少なからずいるわけですね。

 

 

 

※下記、文字色付けは当方が行っております。

 

www.nejm.jp

 

中枢神経刺激薬の処方を受けていた ADHD の思春期児と若年成人において,精神病の新規発症が 660 例に約 1 例の割合で認められた.アンフェタミンの使用は,メチルフェニデートよりも高い精神病リスクと関連した.(米国国立精神衛生研究所ほかから研究助成を受けた.)

 

 

 

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

例えば、ADHDでは多動や衝動性、注意欠陥などの中心的な症状については一定の効果が期待できる治療薬がある。夜間の不眠に対しても睡眠習慣の指導を行った上で、どうしても必要であれば睡眠薬や鎮静剤を用いることができる。

 ところが、彼らの「日中の眠気」はとてつもなく難敵なのである。睡眠不足による眠気であれば睡眠時間を伸ばすことで解決できる。ところが、ADHDASDの眠気は睡眠不足とは無関係に出てくることが少なくない。むしろ、昼も夜も暇さえあれば眠って困るということがある。

 そもそもADHDの治療薬の一つであるメチルフェニデートはもともと過眠症の治療薬として用いられていた。過眠症とは夜に十分眠っても日中に強い眠気が生じる睡眠障害の一種で、代表的な疾患はナルコレプシーだが、メチルフェニデートその特効薬なのである。つまり、病的に強い眠気も払ってくれる医療用覚醒剤の一種である。多動や注意欠陥にも効果があるため、現在はADHDの治療薬としても用いられているが、その強力な覚醒効果で日中の眠気も改善してもおかしくないはずなのに、ほとんど効果が得られないことも少なくない。

 (中略)

ところでちょうど2年ほど前、筑波大学から「退屈になると眠くなる脳内メカニズム」の一端が解明されたと報告があった。ごく簡単に説明すると、彼らはマウスを使った実験により、大好物やおもちゃなどで気を引いてモチベーション(やる気)を高めると、意欲に関わる「側坐核」という脳部位の活動が変化して覚醒度が高まり、覚醒時間が延び、逆に睡眠時間が減ることを見いだした。

 この研究で明らかになった「やる気や興味、関心が覚醒度を上げる脳内メカニズム」が人でも働いているとすれば、ADHDのように注意が散漫だったり、自閉症スペクトラム障害のように注意や関心が向く領域がごく限られていると、モチベーションが高まる場面が少なく、患児や先のツイッターの主が悩んでいるような強い眠気が出やすいことの説明にもなりそうだ。

 (中略)

もう少し具体的に説明すると、過眠症や睡眠不足であれば、日中に暗室で寝かせるとあっという間に(時には数秒から数十秒で)脳波上の睡眠状態に入る。ところが、発達障害の患者では自覚的には強い眠気があっても、脳波が睡眠状態になるまでにかかる時間は眠気のない健康人と同程度であることが多い。すなわち従来の睡眠科学で定義された「眠気」とは異なるものである可能性がある。

 

 

憩室炎?初診から20日目(食べ物の嗜好、体重など)

強い抗生剤を飲んで、

内臓の炎症は収まり、

お腹がいたいのも数日で治りました。

 

【現在の状況】

お腹に負担をかけないため、2,3日ほぼ絶食してから、

入院治療の方の食事を見習って、

ゆるゆると食べる始めましたが・・・

コーヒーが美味しく感じられなくなりました。

 

因果関係はわかりません。

 

これまで、ドリップ、ペットボトル、インスタント、

カフェインレスなど込みで、1日1リットル以上飲んでいたのに。

 

コーヒー牛乳は美味しくいただけるのですが。

不思議なものです。

 

同時に、

 

苦いコーヒーを飲んで甘い物を飲みたい、

という感覚もほとんどなくなりました。

 

「食べたくてしょうがない」という

「飢餓感」に近い感覚がなくなりました。

 

元々「やせ型」ですが、

体重が、最初の5日で1.5~2kg減りまして、

現在は少し戻って1kgマイナスくらいです。

 

BMIで「普通」体重だったのを、

20代後半で減らして、さらに30半ばで減って、

意図的に維持してきました)

 

最近、胃痛もあったため、

抗潰瘍薬を出してもらい、飲んでいます。

 

これは前にも飲んでる薬ですが、

痛みがおさまっても数週間飲むほうがいい場合があるようです。

折角治ったのに、またしぶしぶと申し訳ないかのように

痛む…というのは、1週間とか2週間しか飲まなかったせいかもしれません。

 

それで、ここ数日は、「胃痛」もないです。

 

でも、飢餓的食欲はわきません。

たとえ、空腹感があったとしても。

 

 

貧乏ゆえ、炭水化物ばかり食していたこともありましたが、

腹痛に至る前から、野菜(サラダ)率をあげていました。

 

だからやはり因果関係はわかりませんが、

今後は炭水化物をいかに摂るか、

特に時間帯について注視していきたいと思ってます。

 

「好きな事をすれば」・・・

「好きこそものの上手なれ」

 

**********

 

 

好きなこととそうでないことの違いは

 

好きな人とそうでない人の違いと同じで。

 

・関心がある

・もっと知りたい

・熱意を込めて取り組む

・その人の為に何かしたいと自ら望む

・大変でも頑張れる

・続けられる

 

**********

 

 

「好きな事をしていればお金が手に入る」

というのは、

 

①字義通り

「好きな事をどんどん続ける」

   ↓

「自動的にお金がどこからともなく入ってくる」

 

ということではありません。

 

 

②裏返して

「嫌いなことを我慢してやり続けていないか?」

「疲弊して、自分を見失ってはいないか?」

 

ということでもあります。

 

 

③「自分に合っている」

 

元々好きか嫌いかわからないが、

やってみたら「好きになった」

という場合もあります。

 

自分が対象を好きになるポイントなり、

自分の得意な動きなどがマッチした時、

やりがいや達成感が得られて好きになるんですね。

 

 

 

**********

 

 

誰かに命令・指示されなくとも、

好きなことはどんどんやりたいし、

やり続けていけますよね。

 

「好きなことをすればお金が増える」

というのは、

間が抜けていて、

 

<全く興味のないことや、苦痛に顔を歪ませながらやることより>

好きなことをすれば

<技術や能力が向上していったり、苦難も乗り越えていけるので>

結果的に

<お給料が増えたり、諦めずに集客していけたりして>

お金が増える方向につながり、

<さらに続けていけるから、双方の満足につながって>

さらに増える可能性が高くなるでしょう

 

ということですよね(*^▽^*)

 

 

 

④それともうひとつあって、

「好きな事がなんだかわからなくなってしまった人」が、

(お金を使っても大丈夫な範囲で)

「好きな事をやってみる」と、

<本来の自分を取り戻して活き活きしてくる>

 

という良さがあります。

 

何かしら行動するためには、心身ともに元気が必要ですからね。

 

借金などすると、とたんに元気を失うので、

あくまで

「元気を取り戻す」

きっかけですね。

 

 

ご参考になれば幸いです^^

親が子どもの胸を刺した事件に思うこと

 

 

headlines.yahoo.co.jp

 

先だって、刃物を刺して殺した事件がありましたよね。

 

 

私は常々思っているのですけれども、

 

事件ってものすごくイメージを濃くするんです。頭の中に映像を作ってしまう。

 

芸能人の後追い自殺とかで

ニュース報道をあまりしなくなりました。

 

京アニ放火は、あまりにもショックを受ける人が多いからか、あまり報道されていません。

 

 

同じように、

 

親が子に対して

「あたまにきて〇〇をした」

ことで重傷を負わせたり殺害にいたる事件、

 

車が児童の列に突っ込む事件、

 

というのも、

 

例えば報道するにしても

「頭の中にイメージを植え付けない」

方法があるならそうして欲しい。

 

ないのなら、自粛なり規制なりしていくほうがいいのかもしれません。

 

よく、新米ママが

「ああ、怒鳴ってしまった。

私も子供を虐待する親になったらどうしよう」

と悩んだりします。

 

それは、「イメージがあるから」なんですよね。

 

事件を目にすると

「自分もやっちゃったらどうしよう」

とか

「自分はそんなことやらないぞ!」

とか、

強く思ったりするわけです。

 

強く思うとそのイメージに脳は反応します。

 

「いざ」となったときに、

そのイメージを再現する、、、

んじゃないだろうかと思えてなりません。

 

 

脳科学の専門家などにしっかり研究して教えて欲しいなぁと思います・・・