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ニュース関連が増えてきました(・_・;)

ずいぶんふざけたことを、書いたなぁ(笑)

基本、目の前に人がいて

けたけた笑ってくれたらいい。

 

やりとりする中で

奇怪でも、面白いのでも、

何か発見があればいい。

 

それであなたも私も愉快になればいい。

なぁんだ、とか、

せいせいしたなぁ、とか

おもしろかったなぁ、とか

ね。

 

そしたら楽しいでしょう。

それだけ。

 

 

人に、表現したくてたまらない。

人に、変われ!

 

とか別に思ってない。

 

自分が楽しい、面白いだろうなぁ~

って思えることだけ目指してる。

 

がんばろうとか目標とかじゃなくて、

ぽっと頭に浮かんだら

ああ、おもしろそうだなぁ

やってみよう!

 

ってなるだけで。

 

大変そうだったらやらないし、

めんどうそうならやらないし、

つまらなそうならやらない。

 

しょうじき、

 

やらないというか、できない(笑)

 

すごい深刻に考えてそうな場合も

 

なんていうか、私には面白いんだよね。

 

interesting

 

っていうやつね。

 

興味がある。

プラスなことだけじゃなくて。

 

 

「おもしろそう!」と思うと、

タガがはずれて、

いろいろミスることもある。

 

塾の時には、

オーナーがいたから

「これはどうでしょう?」「それは〇〇だからダメだ」

で、

クリスマス会は実行できた。

ひとり100円のケーキ、ジュースとお菓子だけで

 

中学生がよく笑ってた。

講師も、学生だとそんなに年かわらない。

 

楽しいなぁ!

ってその場がいいものになる。

楽しい時間を共有して仲間になる。

 

そういうのっていいじゃんね?

 

命とは愛

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私たちは命を持って生まれてきました。

未熟な体から育まれ、自発呼吸をするに至りました。

 

命がひとつ、ぽつんと。

シャボン玉のように現れました。

 

私たちは「個」を感じます。

ときには「孤独」です。

たくさんの人達と同じように生きて、やがて死にます。

 

命を得たのは愛です。

どのように生まれて、育っても、

その灯は愛なのです。

 

心と体はひとつの形になりました。

だからどちらかだけになることはできません。

苦しいときつらいとき、悲しいときもあるでしょう。

痛いときもあるでしょう。

 

私たちは「感じる」ために灯を宿していますから、

必ずしもいいことばかりではありません。

 

でもそれは私たちを苦しめるための灯ではありません。

 

 

愛をおのずから感じることができるとき、

それは、あなたの窓が開いているときです。

 

あなたが誰かの愛が開いていることを知るとき、

あなたもまた開いていれば、

愛を感じることが出来るでしょう。

 

与えてもらうことではありません。

与えることでもありません。

 

みずからの中にたゆたう貴い灯ですから、

それを感じてみましょう。

命が、愛なのですから。

恋愛結婚って歴史は浅いんだよ~~~

なぜか今の人って

 

結婚は、好きな人を自分で選んで、

その好きな人と両思いの末、

大団円で結婚してるものだ

 

とみんな思ってる不思議。

 

けど、その歴史めっちゃ浅いですからね!


 「売り」に出される

 「働き手」として「嫁に行かされる」(兼くちべらし)

 政治的結婚

 兄が戦死したから、弟と兄嫁(未亡人)が結婚する

 とか日本もあったわけです。

 

それから、

 生まれた子が兄家の養子(というか「実子」として書類提出される)

 

 とかいうこともまぁ普通にあったわけですよ。

 

 

なのになぜか

 

「好きこのんで結婚したんだから」まではいいとしても

「だから我慢しなさい」(いい人っぽいけどウザい忠告してるだけ)

「お互い様カップル」(ただの批難)

 

とか言うんですねー。

 

こういうのを

「世も末」と言うわけです。

(は、ちょっと上から過ぎる感じ悪いやつですねwただののっかりです)

 

 

とにかく、

 

「あれ?好きじゃなくても結婚できるし、

 家族ってやっていけるんだ」

 

ということに着目してみましょう!

 

驚きませんか?

 

 

 

思い返してみてください。

 

 

殆どの人は、小学校、選んでませんよね。

選んだにしても、学校の内情全て把握し、いっしょに学ぶ学友全員熟知した上で

じゃないですよね。

 

 

お友達だって「たまたまその学校になった」中から

取捨選択して吟味したわけじゃなくて

「なんとなく仲良くなった」中から

ずーっと続いていたりするわけです。

 

 

好き!友達になろう!!

 

って約束することはめったに…あまりありません(よね?)

 

「愛し合わなくては!!!」

「特別に好きでなければ!!!」

 

っていったいいつからそうなったんでしょうかね。

 

「愛する」というのはそもそも

「不倫されたから愛が速攻で憎しみに変わった!」

ってなるものじゃないと、私は思っております。

 

 

愛の反対は憎しみではなくて「無関心」です。

憎しみにすぐに変わるのは「愛」ではなくて「執着」です。

 

「ああ、執着してただけだったんだ・・・」と気づくかどうかだけです。

 

「家族」は書類契約でもたせるものではないはずです。

 

それを、何かがあった時に忘れてしまうんですよね。

つい、うっかりと。

 

 

「結婚」の100%が

「恋愛結婚」ではない、ということをよく考えてみましょう。

 

たとえば、

「お見合いしても好きにならないと結婚はなぁ・・・」

って言っていたとすれば、

「好き」より先の「目的」があるじゃないですか。

 

 

「自分で選んだのだから」

「好きでそうしたのだから」

 

は、ただの理由づけにすぎません。

 

そうやって自分や他人をぎゅうぎゅう縛り付けているだけにすぎません。

セルフSMと呼びましょう。

 

セルフSMはやめよう。

元気づける~「ほんのちょっとだけ”アゲ”て仮定する」

Let's cheer up !

 

元気具合を「好調指数」として図にしてみました。

 

※数字は、視覚で捉えやすいように、かつ

 説明がしやすいように設置したものです。

 

誰でもこんなふうに、気持ちは上がったり下がったりしているわけです。

一日の中でも上がったり下がったりしているでしょう。

 

 ※もし、特に何もなくても、

  ・ずっと下がりっぱなし

  ・50を振り切っている状態がずっと続いて突然下がる

  ・曖昧な理由で急に死にたくなる

  などの状態が続いている場合は病気などが疑われるので、

  このお話とは別です。

 

何気ない生活上での、多少の上がり下がりについてです。

例えば、誰かが《-30》のように見えたとします。

 

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直前で+30くらいあるので、

ガックリ下がったことで「より元気ないように見えるかもしれません。

昨日とか、3時間前とかだったら尚更ですね。

 

「どうしたの?元気ないね」

「キミらしくないよ?」

 

などと、声掛けする人が少なくありません。

 

これは「良くない」声掛けです。

 

どうしてかと言うと、

本人としてはこう思うかもしれないのです。

 

「たった一瞬だけ」

「そんなに元気ないわけじゃない」

「疲れただけ」

「休んでるだけ」

「キミらしくないって、じゃあホントの自分を私(俺)より、

 お前の方が知っているっていうのか?」

 

誉める、励ます、元気づける

といった行為は「良いもの」のようですが、

《相手の心理状態に踏み込む行為》のため、

ある程度の「信頼」とか「信用」が要るのです。

 

自分が「これは良い行為だ」と思っているからといって、

それを受けた人が同じように「良い」と受け取るかはわかりません。

 

他人についても、自分についても

「まさに”今”の状態」そのものを認める、視認するべきなのです。

目の前に実際にあるのだから。

 

だから

「前=自分が知っている・こうであるはずだと妄想している」

状態と比べる必要性はありません。

 

理想としてはできるだけ「0(ゼロ)」だと仮定することです。

要は「フラット」な状態です。

 

ただ、

気持ち・気分というのは変動しやすいもので

(あまり振り回されない人と振り回される人はいますが)

色々な「比較」の中で認識していることが多いはずです。

(過去の自分、周りの様子などと比較)

 

そのためのcheer up方法として

こちらの図のように

「-30くらいに見える」場合は

直前の「+30」(過去)ではなくて、

少し上の状態、

”今”の-30より+10くらい」だとしてしまうことをお薦めします。

 

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そうすると、

「めちゃくちゃ落ち込んでるな…」ではなくて、

左端のもっと低い状態よりもだいぶマシに見えますから、

例えば

「元気ないけど、こないだみんなの前で先生に怒られてたよりかはマシそう」

というふうに見ることが出来るので、

「なぁ、今日は金曜だし、カラオケでもいってパーッと遊ばねえ?」

と声掛けすることになるかもしれません。

 

もし-30かそれ以下で、

「彼女にとうとう振られたのかな」なんて妄想すると

「生きていればいいこともあるよ」

なんて声掛けしてしまうこともあるわけです。

 

そんなふうに他人を見ていることはありませんか?

「元気ないほうに見積もらない」ことが大切です。

 

ちょっとだけ「元気がある」方に仮定して接することが大切です。

 

 

《より重く見ない》

《ちょっとだけよく見る》

というのは、あらゆる場面でとても大切です。

 

 

 

これは、他人だけでなく、自分自身にも同じことが言えます。

 

「この間は30だったのになぁ、今日は10だけだ・・・」

と「前回の”好調”具合」と比較してしまい、30-10の差「20」で、

-20だ」というふうに捉えてしまうんですね。

 

”不調”の「-30」だった時より「+40」も上がっているのに、

もっと良かった時」を基準として「-20じゃダメだ

なんて思ってしまったりするからです。(錯覚)

 

 

大体いつも30の人がいるとします。

10くらい、ちょっとだけ様子が違うな、と思ったとしても、

20くらいだと思っておくと、

やたらと「すごく元気ないね?」なんて言わずに

本人が何か知らせてくればよく聞こう、と心づもりだけしておけますよね。

 

そしてもし、

0とか-10くらいに見えたら

「どうかした?」と聞いてもいいかもしれないし、

ただ、近くにいるだけでもいいわけです。

 

本人が、声掛けしたければいつでもできるように。

 

 

 

 

「元気づける」というのは、

 

より重い方に捉えて、それを表現するとか

(ということは、”いつもはそれより元気であることを前提”とした話になる)

 

隣でチアリーダーのようにほらほら元気出せよ!と鼓舞することではなくて、

(”変われ”というのは、目の前の相手を否定していることになる。

 試合中の鼓舞とは違う)

 

いつでも力になれる

ということを近くでそっと示しておくこと、

心の扉を開けておくことなのですね。

 

 

「カラオケでも行ってぱーっと騒ごうよ!」

と誘ってみてOKということもあるかもしれません。

これは、

「ほら立ち上がれ!やれ!元気出せよ!」

と言っているのとは違いますよね。

 

「一緒に楽しもう」とか、

「何か気持ちをくみ取ってくれているんだな」

ということがわかりますよね。

 

「あなたがこうしろ」と言っているわけではないということです。

(=他人の行動や考え方を変えることを強要している)

 

「一緒にいるよ」と相手の”まさに今”の存在を認めていることですね。

 

 

 

「元気づけたい」という気持ちが本当に、

心の奥から沸き起こってきてあるものならば、

 

「一緒にいるよ」と相手の”まさに今”の存在を認める

ことができるはずです。

 

 

もしもそうじゃない方法を

「元気づけている」つもりで他人にやってしまっていることが

あれば、それは、自分自身の心の中に「どうしてかな?」と

いったん他人ではなくて自分を見つめてみる必要もあるかもしれません。

 

 

 

 

『Love & other drugs』Amazon Prime video

※ネタバレあり


10年くらい前の、
アン・ハサウェイ主演映画。

ドラッグは、製薬会社の薬。
主人公はその会社のMR。

人の心の大切なことを、
随所で主人公たちが口にする。

26才でパーキンソン病になったヒロインが、
ヤリ男の主人公に言う。


「あなたは、自分を忘れるために、いつも(色々な女とその場限りの上辺の)セックスしてる」
とかね。

医療、薬の不誠実な面も、
実際にある会社名?薬品名?
(だと思うんだけど、にてるだけ?
同じですよね??まんますぎて。
詳細は、ここでは書きたいことからはずれるので
調べておりません)


主人公はパーキンソン病の妻をもつ老齢の男性と話す。
「今すぐ別れて健康な女と付き合え。
私は妻を愛してはいるが、
二度とはごめんだ」と言われる。

そこを見抜いた彼女は、
別れを切り出す。


・・・・・・・・


病気の人との愛

というのも、
映画にしやすいから、そこそこありますね。

この映画のよいところは、

ひとりひとりが、自立しているということ。

自分で、自分と向き合って解決しているということ。

邦画だともっとネチネチするので、
スカッとしますね。


(まぁあとは、病気と薬について、約10年前には声をあげていた人もいたのに、いまは見聞きされてませんから、それに関しては、いま、薬漬けの人も見た方がいいように思います…)


それから、、、

何人か感想は読みましたが、
特に触れられていませんでした。

介護、というのは、本当に大変なものです。
元々元気だった人が落ち込んでいると、
悲しくなるし、受け入れがたくなります。

そしてありとあらゆる面倒をみることになります。体力も精神力も削られていくわけです。
仕事ではないからなかなか割り切れません。

赤ちゃんは育ちます、
育つのを実感できる喜びもあります。

介護は、段々悪くなります。
終わりは、死です。

(だから、殺人事件が起きるわけですね)


私は、介護の苦労を間近で見て、
渦中で生まれて育ちました。
子供心に植え付け“られた”というより
もう生えているわけです。

それから、

私も“難病”患者です。

難病とは、
発病理由がわからない、治療法がないものです。
さらに、病院での診断人数が、
人口1000人に対して1人以下の病気です(これより増えると「難病」ではなくなります)
(風邪もよくわからないけど、大勢かかるし、
勝手に治るから、難病ではありませんね)

診断されることと、国から「認定」されるのは別です。
「認定」されると医療費や介護費用は公費で支払われます。だから、千分の一未満になると無くなってしまうのですね…

※介護が必要と認められないと認定されません。
よって私は認定されてませんが、
診断は下されています。

ALSのように、死ぬものじゃないけど、
28才で発病がわかったから、
どうなるかわかりません。

だから、
今既婚者ではありますが
(については以前書いたけど下書きに戻してあります、長話になるし、内容が雑多とはいえ、ズレすぎてしまうから)


まともな人とは、付き合えないな、
というのは
発病した者であり、
介護の大変さを見ている、
渦中にいたわけだから…
わかりますね。

やはり楽観的にはなれませんね。


しかし同時に、
映画のラストの感慨深さはひとしおだし
セリフの作り方などに感心するし、
共感が恐らく、
経験した先にいるひととも、
未経験の人とも違うんだろうなぁ、
と、思います。

まあ、憧れますねえ~。(笑)

(で、先にも書きましたが、
一人一人が自立していることが、
ここでも
やはり生きてくると思います)


とりあえず公開しとこーって気持ちなのであげよう・・・
旬な気持ちね。

りんご

りんごの実が1つ。

 

「私はこんなに赤くてつやつやで、

 炎よりも美しく、まっか。

 肥沃な大地に植えられて、

 お日様の光もちょうどよく浴びて、

 大切に育てられた。

 特別な品種のりんごなの。

 私ほど素敵なりんごは他にないわ」

 

けれどもそのりんごは、

搬送途中で、道路に転がり落ちてしまった。

 

りんごは、一生懸命うったえた。

「私はこんなに赤くてつやつやで、

 炎よりも美しく・・・・・・」

 

近くを通る車も、人も動物もなかった。

1匹のアリがはしっこをかじりとって、

何も言わずに運んで行った。

 

「傷なんてつけないでちょうだい。

 私は立派な、特別なりんごなんだから」

 

他のアリもやってきて、

りんごは少しずつかじり取られた。

 

りんごはしくしくと泣いた。

 

 

子ザルが一匹通りがかってりんごを手に取った。

「ぼく、迷子なんだ。

お母さんがいないんだ。

おなかがすいた」

 

りんごは、

「私は特別なりんごなの。

うんと高価なりんごなのよ。

だから―」

と、続けようとしたが、

一息ついて、

「ぜひ食べて」と言った。

 

 

子ザルは「ありがとう」と言ってりんごを食べた。

むさぼりついて食べ終わると、明るい顔になった。

 

 

りんごは幸せだった。

 

トラックから落ちずに運ばれて行った、

他のどんなりんごたちよりも。

 

 

子ザルは、お母さんの声が聞こえて、

元気に返事をしながら森に帰って行った。

 

ツイッターで「いいね」を増やすには

ツイッターで、「いいね」を増やすには、

 

・パッと見で全体が見える

・パッと見で「良さそう」なことを書いている

・パッと見でその内容がよくわかる

・つまり「既にある知識」であること

・「既に見聞きしなれた内容」であること

 (※J-POPの内容など参考に)

・書き方(=リズムの視覚化)を統一する

・毎日(なるべく同じ時間)にコンスタントにツイートする

 

 

⇒TimeLineですぐ目につく

 

⇒安定感がある

 

⇒安心感がある

 

 ★何度も目にするものは、読みやすい

 ★考えなくても入ってくる

 ★「この人だ」と認識されやすい

 ★定型で認識されると目につきやすい

 

 ・・・このサイクルに入るから、

 目に入ったら「いいね」をほぼ自動で押してもらえる。

 

 

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私には、これが出来ません!!!

OH ジーザス!!!

 

「え?!」っていったんとまって、

考えてみてくださいよ

 

という内容しか書けない、

言ってみれば「批判家」タイプでしょうか(・_・;)

 

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   例:「道具」に関して

 

*わかりやすい例*

 

Title:「汚部屋と道具」

 

道具とは、私たちの生活をより豊かにする物だ。

身の回りにある道具に汚染されているならば、

それは道具に振り回されている。 

豊かさとは、物をより多く持つことではなく、

どれだけ生活を味わい楽しめているかだ。

物を捨て、最小限にとどめて活用することで、

私たちの生活を真に豊かにしていくことが出来る。

 

 

*わかりにくく、悩ませる例*

 

Title:「道具とは私たちの第三の脳だ」

 

言語化」が好きな諸君に告ぐ

これからは「視覚化」だ!

VR・AR・MR・SR・XR

視覚と体感が複合的に交差し、

我々の未来でさえ、

もはや道具ではなく脳となる。

 

現実の脳も幹細胞移植によって

復元可能という研究も進み、

我々は個から全へと進化するだろう。

 

道具と我々の脳がコネクトされた先は、

時間の不可逆性をも超越する。

我々の脳が、第三の脳となるのだ。

 

 

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まぁ、こんな感じですね。

「わかりにくい方(ほう)」は、

「うーん・・・」って

まず内容を取り込むのに考えるし、

わかりにくい単語も出てきて調べないとなぁって気になったり、

途中で自分の考えが出てきたりするわけですねー。

 

私は「わかりにくそうな単語」は、

私自身知識がないから出て来にくいけど、

読んだ人が「自分の考えが出てくる」ようなのが好きですね。

 

ちなみに、

「いかがでしたか?」

ってここで”わざと”書くようなふざけ方が好きです(草